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僧侶の手記 | ユバログユバログ

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僧侶の手記

今日、勇者から「一緒に冒険に行こう」と言われた。
とても嬉しい。反面、これから先の冒険の旅を思うと少し怖くもある。
ここまで書いている中で、自分の中に断るという選択肢が無いことに気付き、恥ずかしさと嬉しさを覚える。
 

旅立ちの初日、彼の元へ行くと先客がいた。
彼と私の幼なじみでもある、戦士と魔法使いだ。
最近は、お互いの職が別のものでもある事もあり、疎遠になっていた。
特に、魔法使いとは彼のこともあり、自分から関わらなかった面もある。
私は臆病者だ。
 

冒険の旅に出て数日。
どうしても魔法使いとギクシャクしてしまう。
彼女は今も彼に想いを寄せているのだろうか。
こんな事ばかりを考える私は、本当に嫌な女だ。
 

今日、魔法使いに呼び出された。
彼女は泣きながら私を叩き、昔、彼に想いを寄せる私を見て身を引いた事を話してくれた。
そして、今の私を見るのは辛いと。こんな思いをする為に身を引いたのではないと言ってくれた。
私たちは、同じ想いを抱いて身を引いていたのだ。
ごめんね、魔法使い、勇者。
 

パーティー内の不和が解消された為か、冒険の旅は順調に進んでいる。
だが、今度は別の問題が発生した。水と食料の問題だ。
今いる場所から次の村までは、どう見積もっても数日かかる。しかし、前の村まで戻るのも数日かかってしまう。
選択肢はそう多く無い。
 

牛に似た魔物と、蛇に似た魔物を食べた。
魔物の血で喉を潤し、魔物の肉で空腹を癒す。
どうやら蛇に似た魔物には毒性があったようで、先ほどから吐き気が止まらない。
 

鳥に似た魔物と、野生の林檎を少し手に入れた。
林檎を衰弱の激しい魔法使いに食べさせるが、全て吐いてしまった。
魔法使いの泣き声で眠れない。
 

眠れない。
 

ようやく村を見つけ、転がり込むように入った。
村は貧しく、食料はそう多く無いという。
村長へお金や道具を渡し、なんとか一晩の滞在を許してもらい、僅かな水と食料を分けてもらう事が出来た。
どうやら村の住人は、私たちを快くは思っていないらしい。
勇者の一行は魔物から狙われている存在であり、そんな者たちが居ることは百害あって一利なしという事なのだろう。
そういった状態でも、一晩の宿と貴重な食料や水を与えてくれたのだ。
彼らは悪くない。彼らは悪くない。彼らは悪くない。
神よ、我らを救い給え。
 

久しぶりのベッドで眠り、回復魔法と食事を取ったおかげで、魔法使いの容態はかなり良くなった。
村長から近くの街までの距離を聞く。
次の街まで早くて10日。今の私たちには絶望的な距離だ。
勇者と戦士と相談し、魔法使いには話さないでおこうという事になった。
 

山道を黙々と進む。魔法使いの顔色はかなり悪い。
大丈夫と微笑む彼女を見ていると、涙が出そうになる。
 

小さな泉を見つけた。
子供のようにはしゃいで、水を思いきり飲んだ。
幸せだ。神よ、感謝いたします。
 

しばらくの間、この泉を拠点として行動する事になった。
魔法使いは休ませ、二人一組の行動で周囲の散策を行う。
心の余裕が出てきたのか、勇者はずっと笑顔だ。
彼が笑顔だと私も笑顔になる。
 

ある程度の食料を集め、水も補給した。
計算したところ、次の街までは後6日ほどか。
魔法使いの回復を待ち、出発する事にする。
 

旅は順調。最近は魔物の味にも慣れてきた。
 

遠くに街が見えた。あと少しだ。
残った食料を使い、少しだけ豪勢な食事をした。
みんな笑顔だ。
 

街に入るのを断られた。
泣きながら私たちに謝罪する勇者の言葉が胸に響く。
彼は悪くない。街の人々も悪くない。
悪くない悪くない悪くない悪くない。
あの泉まで戻るか、先に進むか。
この選択肢を間違えたら、私たちは死ぬのだろう。
どこか達観している自分がいる。
 

勇者は先へ進むことを選択した。
 

自分の身体が自分の身体と思えない。
脚が重い。空腹と喉の渇きが酷い。
この辺りの魔物は毒性が強く、食用には適さないようだ。
 

魔法使いが倒れた。
戦士が背負って進む。私たちは進む。
 

喉が乾いた。
 

水。
 

みず
 

商隊が通りがかった。
彼らは、食料を求める私たちに、城一つ買えるような金額を提示した。
きっと、彼らは魔物だったのだろう。
魔物だ。これは魔物が持っていた食料なのだ。
魔物の血の匂いが身体から取れない。
神よ、我らを救い給え。
 

魔物の商隊から奪った地図によると、今の備蓄で近い街までどうにか行けそうだった。
今の私たちには、魔物の商隊が使っていた馬車もある。
これも神の思し召しか。
 

街の近くに馬車を停める。
馬車は魔物の血で汚れている為、余計な不安を与える可能性もある。
今夜はここで野宿だ。
 

商人の一団だと偽り、警備の兵へ僅かな金銭を与え、街へと入る事ができた。
今後はこうやって街や村へは入ることになるのだろうか。
美味しい食べ物を食べ、温かいベッドで眠ろうとしているのに、何故か涙が頬を伝う。
 

洗っても洗っても魔物の血の匂いが取れない。
魔法使いはずっと泣いている。
みんな眠れないのか、目の下のクマが酷い。
 

数日、街での滞在を続けようと思う。
眠れないのもきっと今だけだ。
血の匂いが取れないのもきっと今だけだ。
忘れろ。忘れろ。忘れろ。忘れろ。
弱くてごめんなさい。
 

勇者が奇妙な葉巻を吸うようになっていた。
吸うとよく眠れるそうだ。
私も吸いたいと言うと、勇者が悲しそうな顔をしたのでやめておくことにした。
眠れないのは辛いが、彼に嫌われるのは耐えられない。
 

勇者が明るい顔で移動魔法を覚えたと言った。
これで食料と水の問題はかなり緩和されるだろう。
神は我らを見放してはいなかった。
 

悪夢は見るものの、どうにか眠れるようになってきた。
時間とは神の与えてくれた免罪符なのかもしれない。
 

勇者が旅の再開をみんなに伝えた。
正直、気が進まない。だが、彼は勇者だ。私たちの中心だ。
戦士や魔法使いも不満はあったようだが、結局、明日出発することになった。
 

荷物をまとめ、出発の準備をしていた際、随分と荷物が減っていることに気付いた。
その減っている荷物の中に、勇者が大事にしていたいくつかの品が無いことにも気付いた。
彼に言うと、困ったような顔で「無くした」と呟いた。
ようやく私は理解した。
本当の商人でもない私達が、長期に渡って街に滞在するという事の現実を。
金銭は無限ではない事を。
 

次の街までの行程は順調に進んだ。
だが、私の心は重い。
勇者と戦士の間にも、以前のような気安い空気がなく、常に張り詰めた感じがする。
私たちは一体、何をやっているのだろう。
 

街へ到着し、宿で休んでいると、勇者と戦士の部屋から怒号が響いた。
慌てて二人の部屋に向かうと、勇者と戦士が取っ組み合いの喧嘩をしていた。
魔法使いの身を案じる戦士と、先へ進むことを選択した勇者との間で意見が割れたためのようだ。
魔法使いと協力し、どうにか二人をなだめる。
勇者が外へ頭を冷やしに行った際、前の街で私が気付いたことを二人に話した。
魔法使いは気付いていたようだが、戦士は唖然とした表情をしていた。
これが不和を解く切っ掛けになればいいと心から思う。
 

目が覚め、隣の部屋を覗いてみると、勇者と戦士がテーブルに突っ伏して寝ていた。
辺りに散乱する酒瓶を見るに、二人で夜通し飲み明かしたようだ。
昼過ぎに二日酔いで目を覚ました二人は辛そうではあったけれど、顔は晴れ晴れとしていた。
私たちの結束は深まったようだ。
 

街に滞在している間、各自で仕事を請け負うことにした。
勇者と戦士は、街の近くに根城を持つという盗賊団を捕縛する仕事。
私と魔法使いは、街の教会で蔵書の管理の手伝いだ。
冒険の旅よりも不思議と充実している。
 

勇者と戦士が戻ってきた。
報酬はそれなりの額があったらしく、豪勢な食事を取ることができた。
どんな事があったのか二人に尋ねると、口を揃えたように「大したことはしていない」としか返してくれない。
何故か胸に嫌なものが広がる。
 

路銀も増え、次の出発を明日に控える事になった。
買い出しの際、広場に貼り出された立て札が目に入る。
盗賊団が壊滅したらしい。
冒険者の手によって首領以外はその場で殺され、首領も本日、縛り首になったということだ。
淀んだ目で自分の手を洗い続ける勇者と戦士の姿を思い出す。
私は、二人に何が出来るだろう。何が出来ているのだろう。
ずっとそんな事ばかり考えている。
 

次に目指すのは、乾燥地帯にある小さな村ということだ。
水を多めに携帯し、馬車へと保管する。
 

村へ向かう途中の道で、いくつかの遺体を見つけた。
どれもミイラ化しており、魔物に食べられたのか損傷が激しい。
 

埃が酷く、口の中に常に砂利を入れられたような感触がする。
髪がざらつく。水浴びが恋しい。
しかし、水の量は目減りしており、余裕など無い。
 

この地方の魔物は筋張ってはいるものの、食用としても問題ない種類が多い。
水に関しては、偶然にも水分を多く含む植物を見つけることが出来た為、次の村までは何とかなりそうだ。
 

村は壊滅していた。
 

壊滅した村を散策してみたところ、井戸が枯れた事が原因であるのがわかった。
水を奪い合い、日々を絶望で過ごす村人たちの心境を思うと胸が痛い。
此処へ来る途中で見つけたいくつかの遺体は、この村から逃げ出した村人だったのかもしれない。
神よ、彼らに安らかなる眠りを。
 

移動魔法で前の街まで戻り、食料と水を補充して壊滅した村まで戻る。
村の中にあった移動魔法用の魔方陣に破損がなかったのは不幸中の幸いか。
移動魔法の使用は疲労が激しいらしく、勇者の顔色が悪い。
今日はこの村で一晩明かすことになりそうだ。
比較的、綺麗な家を選んで泊まることにする。
 

戦士が、村の中を物色する案を出した。
強盗と変わり無い行為を咎めようと思ったが、戦士の辛そうな顔を見ると言葉が出ない。
結局、全員で村を物色する事となった。
私が担当した家で、少ない金銭と子供の描いた絵を見つけた。
私にはこれから先、神に祈る資格はないだろう。
 

次の街は、砂漠の中にある街だという。
小さいながらも王の治める街であるため、支援を受けられるかもしれないらしい。
だが、期待するのはやめておくことにする。
希望から絶望へ叩き落とされるのはもう嫌だ。
 

砂漠へと差し掛かった。
ここを抜けるまでは、昼は穴を掘って休み、夜に移動する事になる。
水が生命線だ。無駄使いしないようにしなくては。
 

日陰の中でも容赦なく太陽の光が私たちを焦がす。
水を少しでも節約し、体力を温存するために薬草を口に含んで噛み続け唾液を出す。
苦いと思ったのは最初だけで、今はもう何も感じない。
ただ機械的に口を動かすだけだ。
 

体力の消耗が激しい。
砂漠の敵は夜行性のものが多く、危険度も高い。
腕の傷がじくじくと痛む。
 

疲労と油断が重なっている所を魔物に突かれた。
辛くも撃退には成功したが、魔法使いが死んでしまった。
蘇生のため戻るか、先へ進んで街で蘇生させるか。
勇者は進むことを選んだ。戦士は戻ることを選んだ。
私は、進むことを選んだ。
 

戦士が一言も喋らない。
戦士の次にお喋りな魔法使いは死亡している為、とても静かだ。
 

魔法使いの腐敗が進んでいるのか、鼻を突く臭いがそこら中に漂う。
腐臭に寄せられてか、魔物の数も増えた気がする。
私の選択は間違っていたのだろうか。
 

馬車の中の魔法使いの遺体にハエがたかっている。
戦士が必死になって追い払ってはいるが、魔法使いの身体から湧いているのだから根本的な解決にはならない。
魔法使いの綺麗な顔はボロボロで、目が糸を引いてこぼれている。
 

ようやく街を見つけた。
もう鼻は麻痺し、何も感じない。
馬車にはなるだけ近寄らないようにしている。
 

街へ到着し、勇者一行であることを告げると、長い時間待たされた後に滞在を許された。
魔法使いの遺体は、馬車の中に入れたまま教会へ運ばれた。
戦士は教会へ同行し、私と勇者は宿へと向かう。
明日、王宮にて王と面会する事になった。
 

王宮にて王と面会した。
少なくとも、私は好きになれない相手だ。
面会している間のねめつけるような視線が忘れられない。
面会の後、教会へ向かうが、魔法使いは面会謝絶との事。
明日、出直す事にする。
 

教会へと出向いたが、やはり面会は難しいとの事。
だが、部屋の小窓から覗く事だけは許可された。
最初は意味がわからなかったが、覗いてみて納得した。
死ぬ瞬間の光景、蛆が身体を這い回る感触、腐敗していく感覚。
それらが魔法使いの脳と身体を壊し続ける。
拘束具を着けられ、よだれと涙を流し、自分の身体を掻き毟ろうと必死にもがく姿に、以前の優雅さは微塵も残ってはいない。
帰り際、魔法使いの部屋の前でうなだれる戦士がぽつりと言った言葉が忘れられない。
「俺達は罪人だ」
 

お酒を初めて飲んだ。
とても不味い。だが、ふわふわとして色んなことを忘れられる。
 

勇者は部屋から出てこない。私も部屋から出ようと思わない。
誰か私たちを助けてください。
 

魔法使いが戻ってきた。
あれからどれぐらいの日が経ったのか。日付の感覚が曖昧だ。
魔法使いの頬はげっそりとこけ、一言も喋らない。
目だけが爛々と私を見つめていた。
 

魔法使いの回復を待っていたのか、全員が揃ったすぐ後、王に再度呼ばれた。
近場の遺跡に向かい、魔物の殲滅を行うようにと命じられる。
数日の猶予を勇者が申し立てると、国で支払った魔法使いの蘇生の代金や、今、宿泊している宿の代金などをたてに取られ、翌日の出発を命じられた。
帰り際、王に私だけ呼び止められ、今後は王宮付きの司祭にならないかと誘われた。
王が私を司祭として求めていないことはわかっていた為、その場で断った。
一刻も早く、この街を出たい。
 

遺跡へ向かう。
王の兵は街の守りの為、一人も貸せないとの事だった為、私たち4人で向かう事となった。
1日ほどの距離のため、行く事はそう難しくはない。
だが、4人の間に流れる空気は重く、誰も何も喋らない。
 

街から出発して遺跡に向かうまでの間、誰も口を開かない状態が続いた。
その道のりの中、私は思考を停止させ、魔物を倒し、傷付いた仲間を癒す事だけに集中する。
神へ祈り、誰かを癒すという教えである回復魔法を、まだ私が使えるのが不思議でたまらない。
 

遺跡に到着した。
王からの依頼も完了した。
 

街へと戻ったが、何もする気が起きない。
 

ようやく気分が落ち着いてきた。
旅を続けた結果、私は強くなったのだろうか。弱くなったのだろうか。
あの日の事は明日にでもこの手帳に残そう。
吐き出さないと壊れてしまいそうだ。
 

結論として、遺跡に魔物は確かにいた。
ただし、遺跡にいたのは小さな魔物やその母親と思われる魔物。
この魔物を残せば、いずれ大きくなり人の街を襲うのだろう。
頭では理解している。だが、身体が動かない。
勇者と戦士が泣きながら魔物を斬り、魔法使いが泣きながら魔物を焼き払う。
遺跡にこだまし続けた悲鳴が耳から離れない。
「痛い」「熱い」「殺さないで」「許して」「許して」「許して」
悪酔いしたのか気分が悪い。記録はここまでにしてもう寝よう。
この、人の言葉を理解し喋る魔物に関しては、後日、別の報告書を作成し、教会へと提出する予定だ。
 

街を脅かし続けていた魔物の集団を殲滅したとして、街の中での私達は英雄扱いされた。
産まれたばかりの赤ん坊を一度抱いて欲しいと赤ん坊の母親に言われたが、やんわりと断る。
私たちは英雄なんかじゃない。
 

勇者が次の街への出発を王へ進言したが断られた。
もし命に反するならば、罪人とみなすとまで言われた。
どうやら王は、私達を国の守り手とし、飼い殺しにしたいようだ。
街で噂されている、隣国との戦争が近いという噂は本当なのかもしれない。
 

何処でも監視の目が光っている。
精神的な疲労が溜まり、常に身体がだるい。
 

勇者が街からの脱走を提案した。
これだけの監視の中、気付かれずに逃げる事は無理だという事はわかっている。
逃げれば罪人の烙印を押される事もわかっている。
それでも誰も反対しなかった。
どうせ、私達はとっくに罪人なのだから。
 

必要最低限の荷物をまとめ、深夜に逃げるように宿を飛び出した。
監視者に見つかったのか、すぐさま街中に鐘の音が響き渡る。
怒号と悲鳴が響き渡る中、私達は走り抜けた。
途中、家の中から怯えた目でこちらを見つめる、赤ん坊を抱いていた母親を目の端に捉えた。
きっと彼女は、自分の子を英雄にしようなどとは思わないはずだ。
どうかあの子が、普通の人生を歩みますように。
 

食料も水も僅かしか持ち出せず、馬車も無い。
それなのに、どうしてこんなに晴れ晴れとした気分なのだろう。
この夜空がとても綺麗だからかもしれない。
今日は昨日よりよく眠れそうだ。
 

この国に長く留まるのは危険な為、隣国へと急ぐ。
次の目的地は海に近いと聞いて、思わず心が踊る。
おとぎ話に聞いた、巨大な湖をこの目で見られるのだ。
海は、この身に溜まる罪を洗い流してくれるのだろうか。
 

通常の隣国への道は整備されており、旅にも不都合は少ない。
だが、私たちは追われる身。その道を通る事は出来ない。
景色は緑が増え、身を隠すには都合がいい。
夜露で喉を潤す。
 

どうにか持ち出せた地図が正確ならば、このまま山道をぐるりと迂回する形で隣国の端の村まで辿り着けるはずだ。
せめてそこまで辿りつくことが出来れば、移動魔法で砂漠の国を経由せずに自国と隣国を行き来できるようになる。
進むしか無い。
 

食料が心もとない。
道すがら数種の魔物を倒し、食料に適した種を探す。
 

朝から戦士が、激しい嘔吐と下痢を繰り返す。
昼に食べた魔物が原因か。豚に似た外見に騙された。
解毒の魔法の効きが悪い。今夜は眠れなさそうだ。
 

どうにか戦士は持ち直したものの、立つのもやっとという状態だ。
魔力を消費し過ぎたのか、頭痛が止まらない。
 

気が付くと勇者の背に背負われていた。
どうやら私は倒れたらしい。
ぽつりと勇者が「ごめんな」と呟くように言った。
弱い自分が嫌いでたまらない。
 

私に続いて、戦士と魔法使いが倒れた。
私の旅はここで終わるのだろうか。
 

勇者が単独で村まで向かった。
動けない私たちは、山で見つけた小さな洞穴で彼を待つ。
夜が怖い。
 

指が震える。文字を書くのも辛い。
魔物の声が近い。
 

ここ数日の記録は後日残そうと思う。
一つ言えること。
今、私たちは生きている。
 

魔物の声が近いと記した後、私たちの匂いを嗅ぎつけたのか、狼のような魔物が数匹現れた。
どうにか撃退するも、戦士の傷は深い。
 

癒しの魔法を限界まで使い、気絶しては起きてまた使う。
出血が激しかった為か、戦士はしきりに寒いと言う。
夜、魔物が群れをなしてやってきた。
戦士は虫の息だ。
 

私も魔法使いも傷だらけ。戦士はいつ死んでもおかしくはない。
私が覚えているのはここまでだ。
 

勇者が戻ったのはそれから三日が過ぎてからだったという。
私たちの遺体は激しく損傷していたものの、蘇生に必要な1/2は残っていたらしい。
獲物を保存する習性を持っていた魔物に救われるとは、皮肉なものだ。
 

死ぬという事。蘇生するという事。
変わり果てた魔法使いの姿を見て理解していたつもりだった。
だけれど、自分の認識が甘かったことを身を持って痛感させられた。
生き返ってからのことは思い出したくない。
 

勇者が辿り着いた村には、移動魔法用の魔方陣はあるものの、充分な施設はなかったらしい。
結果、私たちは今、故郷で静養している。
家族は私を見て一日中泣いた。
私はそんな家族を、遠くに感じていた。
 

身体が動くようになって数日後、教会の孤児院で養っている子供たちがお見舞いに来てくれた。
今の私は、子供たちの目にどのように映っているのだろうか。
 

次の日、誰ともなしに勇者の元へと集まり、言葉を交わした。
翌日、旅を再開することが決まった。
決して使命にかられてなんかではない。
知り合いの多いこの場所にいるのは辛すぎるからだ。
家族には旅を再開する事を告げなかった。
手紙だけは残してきた。
「ごめんなさい」とだけを書いた手紙を。
 

移動先の村で宿を取り、久しぶりに4人で話した。
これまでのこと、これからのこと。
自分のこと、みんなのこと。
お酒を初めて美味しいと感じた。
 

村の人から馬車を譲ってもらった。
決して安くはないものの、これで随分と楽になる。
早く海が見たい。
 

風の匂いに違うものが混ざり始めた。
どことなく、空気がベタついている感じだ。
だが、決して不快ではない。
 

海を見ることができた。
この感動をどう現していいかわからない。
 

この国の王がいるという港町へ到着した。
入国は実にあっさりと終わり、拍子抜けしてしまう。
宿に入り休んでいると、この国の兵が現れ、明日の謁見を命じた。
明るかったみんなの表情が一転して暗いものになる。
いつでも国を出られるよう、荷物だけはまとめておこう。
 

翌朝、兵によって案内された城は驚くほどに小さいものだった。
故郷の城どころか、砂漠の国の城よりも二回りは小さい。
更に、王の姿にも驚かされた。
私とそう歳の違わない女王。それがこの国の王。
謁見はあっさりと終わり、私たちは数日の滞在を許された。
何か裏があるように思えて仕方ない。
 

街で食料や水、装備品を買い込んだ。
様々な人が行き交い、活気が凄い。目に映るものは珍しいものばかりだ。
買い物の際、いくつかの噂話を聞くことができた。
海向こうの国との交易により、この国は豊かであること。
女王は若くも思慮深く、民に慕われていること。
砂漠の国の物価が上がり、そこからの交易品が品薄になっていること。
次の目的地は海向こうの国になりそうだ。
 

海向こうの国へは、どうやっても船で行くしかない事がわかった。
問題は、その為に必要な旅費だ。
路銀の余裕が無い私たちは、女王へと相談を持ちかけることにした。
せめて、旅費が貯まるまでの滞在を許されればいいのだが。
 

長期の滞在は許されなかった。だが、事態は大きく変化する。
みんな戸惑うばかりだ。
女王の目的がわからない。
 

女王は滞在の代わりに、旅費の支援を提案してきた。
その為の対価は、滞在の間、謁見を決まった時間に行うというものである。
謁見の場にて女王は、これまでの旅の話を聞かせるよう命じた。
宿に戻りこれを書いている今も、女王の真意がわからない。
 

女王は様々な質問をしてきた。
冒険の旅が、決して英雄譚などで語られる希望に満ちたものではないこと。
食料や水など、様々な問題が山積みであることなどを話すと、しきりに頷いては何かを記録させていた。
目的がわからない分、不気味さを感じる。
翌日の謁見は、私と魔法使いのみが呼ばれた。
相手は女性ではあるものの、王であることに変わりはない。警戒を強くしようと思う。
 

なぜ女王は私たちの話を聞き、涙を流したのだろう。
しきりに私たちに謝る彼女に、私も魔法使いも困ってしまった。
ただ、不思議と悪い気持ちではない。
その日の夜、久しぶりに魔法使いと私は同じ部屋で語り明かした。
彼女と笑って話をしたのはいつ以来だろう。
奇妙な女王に感謝を。
 

早朝、兵に起こされ出国を命じられた。
理由を聞くも、私たちには知る権利は無いとだけ言われる。
少しでも信じた結果がこれだ。笑ってしまう。
まるで、囚人のような扱いで急き立てられるように船に押し込められた私たちの表情は、とても無機質なものだった。
 

海向こうの国まで2日ほどだと船長に言われた。
船員たちはどこか余所余所しく、私たちも進んでは話そうと思わない。
 

船酔いが辛い。陸が恋しい。
泣いている女王の夢を見た。
いつの日か、彼女の目的や涙の理由がわかる日が来るのだろうか。
 

6つの大国の4番目。海向こうの国へ到着した。
船は私たちを降ろすと、別れの言葉もなく去っていった。
これを書いている今も気分が悪い。今日は早く宿を取り眠ろう。
 

気分は優れないが、時間は待ってはくれない。
早く荷物の整理をし、出発に備えなくては。
次の目的地は、この国の王がいるという街だ。
 

なんで彼女は何も言ってくれなかったんだろう。
後悔だけしか残らない。
 

荷物の整理をしていた際、見覚えのない手紙があった。
それは女王からの手紙で、そこには彼女の真実が記されていた。
彼女が誰よりも勇者に憧れ、冒険譚に胸を躍らせる少女であったこと。
現実の私たちを知り、自分の無知を恥じたこと。
自分の国が、民が大切であること。
隣国の砂漠の国が宣戦布告してきたこと。
おそらく、自分たちは勝てないであろうこと。
それでも民も、自分も立ち向かうことを選んだこと。
最後にはこう書かれてあった。
「それでも、逃げない勇気をあなた達がくれた」
「あなた達の旅に幸あれ」
 

次の街までの旅が始まった。
次に出会う王はどんな人物なのだろう。
あの女王と懇意だったとすれば、人格者なのではないだろうか。
手紙と一緒に入っていた紹介状が役に立つと良いのだが。
 

魔物の強さが増してきている。
更に、人型の魔物も増えてきた。
食料に余裕のある今はいい。だが、今後はどうなるのか。
考えるのが怖い。
 

道すがら、壊れた馬車を見つけた。
壊れ具合を見るに、魔物ではなく野盗に襲われたようだ。
敵は魔物だけではない。
 

警戒の為、二人一組で寝ずの番をする。
私と番をすることになった戦士がぽつりと言った。
「俺達は何のために戦っているのだろう」
私は答えられなかった。
 

勇者と魔法使いが番をしていた際、野党が現れたらしい。
相手は飢えていたのか、私と戦士が起きる前に苦も無く撃退できたとのこと。
だが、魔法使いは精神的に辛いようだ。
炎の魔法で焼いた相手の悲鳴が耳から離れないらしい。
今は薬で眠らせている。
彼女を落ち着かせるのに必要なものは、神の言葉や祈りではなく、時間と人の作った薬だけだろう。
自分の存在意義を疑問に思う。
 

2度目の野党の襲撃。
相手は農民崩れなのか、クワやカマを手に持ち襲ってきた。
メイスで殴りつけた時の感触が手から離れない。
 

街が遠くに見えてきた。
今日中に辿りつけるだろう。
 

街にたどり着き、女王からの紹介状を渡した後、私たちは投獄された。
その際にこの手帳も没収されたため、その期間のことを今から記そうと思う。
 

投獄されてすぐ、勇者への尋問が始まった。
絶叫が響く中、隣の牢から魔法使いの怯える声が聞こえる。
 

尋問を受ける。
何度殴られたかわからない。
私達は女王を騙してなどいない。
 

魔法使いの悲鳴がこだまする。
勇者と戦士のいる牢からはうめき声だけが聞こえる。
私も似たようなものだろう。
 

数日後、私たちの死罪が決定した。
言い渡された罪状は、王族への詐称と戦争幇助。
顔を赤くし怒り狂い、つばを撒き散らして私たちを罵倒する王の顔が印象的だった。
女王と恋仲であった王の復讐。と聞けば綺麗なのかもしれない。
実際に王が叫んでいたのは、女王の国との交易による損害ばかりであったが。
これで尋問の日々が終わるのだと思うと、恐怖心よりも安堵の方が大きかったことを覚えている。
 

再度牢に入れられて三日目の深夜。
外の喧騒が大きくなったかと思うと、慌てた顔で兵が飛び込んできた。
どうやら魔物の襲撃があり、兵の数が足りないのだという。
荷物を受け取り、外へと出された後、回復魔法や薬による手当を受ける。
魔物の数は多く、街の被害は甚大なものになった。
この戦いの中で私たちは多くの魔物を討ち取り、大罪人から一転して救国の英雄の扱いを受けることとなった。
そしてこの日、この国の王は逃亡し、その道中に魔物に襲われ死亡したとも伝えられた。
 

こうして今、私たちは5つめの国を目指している。
途中で出会った旅の商人からうわさ話を聞いた。
あの国の王が死んだ為、今後は内乱が続くであろうこと。
だが最早、私たちには関係の無いことだ。
 

次の国は魔法が盛んと聞く。
魔法使いが少しだけはしゃいでるようにも見える。
 

滞在予定だった村は、魔物の手によって壊滅していた。
つんとした腐臭が立ち込める。
壊滅した後に野党に荒らされたのか、目ぼしい物は何も残ってなかった。
予定を変更し、先にある街を目指す事にする。
 

魔物が集団で襲ってくる。
知性が高く、対処に戸惑う。
 

以前、砂漠で出会った魔物と同じように、言葉を理解する魔物がいた。
どうしても武器を振るう腕が鈍る。
 

自分の叫び声で目が覚める。
番をしていた勇者が悲しそうな目で私を見ていた。
きっと、ひどい顔をしていたのだろう。
 

食料が減ってきている。あれを食べるしか無いのか。
だがそれは、人食いと何が違うのか。
 

見た目は干し肉だが、口に入れた瞬間にあの魔物の姿が目に浮かび戻してしまう。
水で無理やり飲み下す。
 

雨が降りだした。
冷たい雨が私たちの体温を容赦なく奪う。
勇者も戦士も魔法使いも、みんな白い顔をして震えている。
私も同じような顔をし、震えているのだろう。
 

雨は止む気配もない。
勇者が嫌な咳をしている。
 

勇者が高熱を出し、歩くことすらままならなくなってしまった。
馬車に寝かせてはいるが、碌な薬も無く、長時間の休養も出来ない。
容態は悪化する一方だ。
雨はまだ降り続けている。
 

勇者の咳に赤いものが混じりだした。
移動魔法で戻る案も出たのだが、今の状態で使用すれば彼の命の危険すらある。
だが、このままでは死んでしまうだろう。
魔物が原因での死では無い場合、蘇生は不可能。次の街まで早くて三日。
決断を迫られる。
 

採取した魔物の体液を勇者が横になっている馬車に持っていった時、彼は全て理解したようだった。
お願いだからそんな優しい目で私を見ないで。
毒を持つ体液を飲んだ後、血を吐いて動かなくなった彼を馬車に残し、私たちは進む。
雨音が私を責め続ける言葉のように聞こえた。
 

街はまだ見えない。
雨に氷が混ざってきている。
 

真っ白な雨が降り出した。
これが、おとぎ話で聞いた事がある雪というものなのだろうか。
急激な冷え込みの為か、魔物の姿は少なく、動きも鈍い。
勇者がいないことを考慮し、出来る限り戦闘を避け、先を急ぐ。
 

遠くに街が見えた。
雪が積もり、予定よりかなり遅くなってしまった。
馬車の車輪が思うように進まない。
手足の赤切れが激しい痛みと痒みを伴う。
 

手足の感覚がなくなってきた。
雪の勢いが増し、見えてきていた街どころか、少し前の景色すら見えない。
死が目の前をちらつく。
 

これしか無いのか。
本当にこうするしか無いのか。
 

これを見ている方へ。
我々は勇者の一行です。
雪で進めなくなり、この場で雪が晴れるのを待っておりましたが、体力、気力ともに限界が来てしまいました。
全員、魔物の毒を服用し死んでおりますので、蘇生は可能だと思われます。
蘇生をしていただければ必ず謝礼をお渡し致します。
何とぞ、よろしくお願い致します。
 

あれから三日後、我々は魔法の国で蘇生された。
何度味わっても、蘇生された瞬間の感覚は慣れることがないだろう。
どれだけ暖かくしても、身体の芯から悪寒が来る。
まるで、あの夜が永遠に終わらないかのようだ。
 

私たちを見つけたのは街を守る衛兵の一人だったという。
聞けば、街まで残り僅かの場所で馬車が雪に埋もれていたらしい。
衛兵へ感謝の言葉をと願い出たが断られた。
これ以上の厄介ごとは御免なようだ。
謝礼に関する書類にサインをし、今日は眠ることにする。
 

ようやく全員の身体が動くようになった日の昼、王から早急の謁見を申し立てられた。
思うように動かない身体を引きずり謁見の場に向かうと、蘇生の代金として巨額の支払いを命じられた。
相談した結果、支払いの援助を自国に求める案が採用され、勇者が単独で自国へ向かった。
私たちは、勇者が逃亡できない為の人質として捕らえられた。
あてがわれた部屋に三人、押し込まれるように監禁される。
明かりもない暗い部屋の中、すすり泣く魔法使いの声だけが響いていた。
 

数日が経過したが、まだ勇者は戻らない。
魔法使いは視線を彷徨わせ、何も喋らずただ涙を流す。
戦士は魔法使いに何度も話しかけては頭を垂れる。
私は、そんな二人を虚ろな瞳で見つめ続けていた。
 

頭の端によぎる、見捨てられたのではないかという考えを何度も打ち消す。
戦士と魔法使いは、人形のように無機質な顔でぼんやりとしている。
気が狂いそうだ。いや、もう狂っているのか。
何もわからない。
 

どれほどの日が経ったのか、外が騒がしくなり、私たちは部屋から出され王の前へと引きずられるように連行された。
勇者の姿を見つけ、涙が溢れる。
だが、彼は憔悴しきっており、私たちを見てはくれない。
王から保釈を命じられた後、今までとは一転して豪華な部屋をあてがわれた。
部屋から出ようとしない勇者が気がかりだ。明日にでも話してみよう。
 

私たちは人であることすら許されないのか。
 

自国の王は支援を断った。
物価の安い私たちの国と、物価の高いこの国とでは、財布の中身が天と地ほどの差があるらしい。
それでも勇者は必死に支援を申し出、断られ、温情を申し出、断られ、幾度も幾度もこの国と自国を行き来した。
そして出された妥協案。
僧侶、魔法使いの二人の身柄を売り渡す事。
魔法が盛んなこの国では、私たちの存在は貴重らしい。
今後、定期的な魔物や魔法に関する資料の提出。及び、冒険が終わった際の身柄の所有権がこの国の出した条件であり、自国の王はその条件を飲んだ。
彼らにとって、私たちなど物でしかない事を理解した。
誰を恨めばいいのか。何を恨めばいいのか。
物に何かを恨む権利など無いのか。
 

大量の物資を譲り受け、国を挙げてのパレード。
出立する私たちがここまでの扱いを受けたのは初めてかもしれない。
みんな、張り付いたような笑顔で民衆に手を振っている。
国を出ると、それまで笑顔だった王の兵たちは私たちを見もせずに引き返して行った。
私たちも彼らを見送ることなく、国を後にした。
 

次に向かうのは英雄の国。
いくつもの街から英雄が集まる国。
幾度も魔物の進行を退けた最後の大国。
彼らは何を思い、誰のために戦っているのだろう。
 

旅の途中、以前から勇者が吸っていた葉巻をじっと見つめていたら、そっと無言で手渡された。
最初は煙たいだけだったが、今はとても楽しい気分だ。
世界はどこまでもゆらゆらしてとても綺麗。
ゆらゆら。ゆらゆら。
 

黄色の道具が空を飛んでいたから、魔物と勇者が踊ってる。
くるくる踊って歌を歌おう。
たのしいなぁ。
ねえ、なんで泣いてるの勇者?
 

最近、記憶がとても曖昧だ。
まるで自分が消えていくようだ。
やめよう。今日こそはやめよう。
 

ここ数日、夜の馬車でお酒と煙を楽しむのが日課になってきた。
みんなの顔も明るい。
勇者が、戦争がどうの、滅亡がどうのと話していたが、よく覚えていない。
6が5になったのがそんなに大変なことなのだろうか?
誰かの顔が浮かんだが、知らない女の人だったので忘れることにした。
思えば、昨日のこともよく思い出せないが、きっとどうでもいいことなのだろう。
 

辛いことがあったのに思い出せない。
頭が重い。体がだるい。
街に到着したことだし、今日は早く眠ろう。
辛いことは全部忘れよう。
明日はいい日でありますように。
 

どこまでもどこまでも青空が広がっていたこの日を忘れない。
戦士と魔法使いが祝福する中、小さな教会で彼が指輪をくれた。
涙が止まらない。
嬉しいのに、幸せなのに、悲しくて辛くて涙が止まらない。
嬉しくてごめんなさい。
幸せでごめんなさい。
私の幸せを祈ってくれた、あなたの顔を思い出せなくてごめんなさい。
この日だけは忘れたくない私を許してください。
 

街に滞在中、英雄の国からの使いだという一団が現れた。
山賊か野党の集団にしか見えない姿に警戒するが、街の人達の対応を見るに、それなりに信用を置ける集団らしい。
どちらにせよ、相手の人数や場所を考えるに付いて行くしかないようだ。
いざという時の為、逃げる準備だけはしておこう。
 

意外なことに、彼らはとても紳士的だった。
更に、場数を踏んでいるのか、魔物の対処も素早く、動作も洗練されている。
勇者と戦士は既に彼らに溶けこみ、酒を酌み交わしながら歌を歌い、そんな彼らを見て魔法使いが楽しそうに笑っている。
おとぎ話の中にある冒険者の姿が、そこにはあったようにも思えた。
 

王の住む街までの旅路の中、彼らは多くのことを私たちに教えてくれた。
少人数での魔物の対処法であったり、有効な魔法の活用法であったり、食用に適した魔物の種類であったり、果てには調理法にまで及んだ。
そして、羨望の眼差しを向ける私たちに対し、彼らは口々に言う。
「我々は英雄などではない」
私たちと何ら変わりのない、悲しい人達がそこにはいた。
 

高い城壁のそびえ立つ街。それが王の住む街。英雄の国。
幾度もの魔物の侵攻を耐えたのか、城壁は所々に傷を負いながらも頑強に街を守っていた。
街へ入ると、老若男女様々な人がそこにはいた。
そして、誰もが私たちを歓迎してくれた。
旅の疲れもあるだろうと宿を紹介され休んでいると、ひっきりなしに誰かが顔を出しては長い旅を労ってくれる。
心地良い眠気が襲ってきた。もう遅い、今日は眠ろう。
 

王は城ではなく、普通よりも少し大きな家で私たちを待っていた。
豪快に笑う王曰く、この国には王を住まわせる城など無いのだという。
そして王は言った。この国の一員にならないかと。
勇者などやめて、共に生きないかと。
我々は同じなのだと。
この日は返答を待ってもらい、宿へと戻った。
みんなと宿で一晩話し合い、返事を決める。
明日、また王の元へと向かおう。
 

朝早く、私たちは旅の支度を終え、王の元へと出向いた。
私たちの姿を見て王は理解したのか、少しだけ悲しい顔をした後、初めて出会った時と同じように豪快に笑う。
去り際、一言だけ投げかけてきた。
「お前達は負けるな」
人々の希望、羨望、嫉妬、悲しみ。そして、自分の中の大きすぎる絶望に負けた悲しい英雄の言葉を背に、私たちは英雄の国を後にした。
 
 

以降のページは文字が血に汚れ、最後のページ以外判別不能。
 
 
 
最後のページ
 
 
親愛なるあなたへ。

本当は、こうするべきじゃないのかもしれない。あなたに恨まれるのかもしれない。
でも、あなたが必死になって残してくれた薬指は、きっと私がこうする為のものだと思うから。

ごめんね、あなただけ残してしまって。
ごめんね、あなただけに背負わせて。
ごめんね、大好きだよ。

もし、私たちを知らない誰かが片手だけでいいから、片方の手のひらの指五本分だけでもいいから、あなたの手を取ってくれたのなら、どうか許してあげてください。
きっと世界は、人は、そこまで愚かでも傲慢でもないから。

もうそんな資格はないけれど、それでも最後に、神様にお祈りしようと思います。

ずっといっしょにいれますように。
またね。
 
 
 

彼女の記録

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